メンバープロフィール
※画像クリックで語録が見れます。

甲本ヒロト(ヴォーカル)
岡山県 1963年3月17日生まれ O型

クリーニング屋の長男に生まれ本名は甲本浩人。三つ離れている弟は俳優で名前は甲本雅裕。
『一生、親に養ってもらって、テレビとお菓子の生活をする』のが幼い頃の人生設計。小学校の時のあだ名は『ボケ作』だった。
中学1年の頃、FMラジオから偶然に流れてきた音楽(載せてる記事によってバラバラだがMANFRED MANNやTHE WHOなどが挙げられる)を聞き衝撃を受ける。
後に、パンクロックに出会い、いてもたってもいられなくなり聴くだけじゃなく、「自分でやらなきゃダメなんじゃ!」と本格的に音楽に目覚める。
中学卒業と同時に上京してベーシストになろうとするが、親に止められ、殴り合ったり色々あって断念。岡山教育大学付属中学校から岡山操山高校に入学する。中学校の保健室にはヒロトのサインが飾られてるらしい・・・。高校時代の部活は剣道部に所属する。18才の時にヴォーカルの抜けたバンドに入ったりもした。
親から保険のつもりで受けろと言われた大学に合格し上京。上京してからは友達がほとんどできなくて勉強もせずに新宿や原宿を友達探しに一日中歩き回ってたというエピソードもある。後にモッズ系バンド『コーツ』で活動。が1年程で解散。
1984年にライヴハウスでマーシーに出会い、『THE BLUE HEARTS』を結成し1985年から1995年までボーカルを担当する。曲づくりはギターのマーシーとほぼ半々。
好きなものは、プロレス・甘いもの・アニメ(タイムボカン・いなかっぺ大将・ばってんロボ丸)など。球技全般は苦手で、あまり運動は得意でない。乗っているバイクは『ハーレーダビットソン スポーツスターXLH883』らしい。
ライブでは糸が切れた操り人形の様にグネグネに踊る?そして、気分がよくなると脱ぐ。チロチロ舌を出したりもする。ハープも上手い。
ブルハ解散後はヒューストンズというバンドを組むが活動停止になる。後に↑ハイロウズ↓のヴォーカルを担当する。

真島昌利(ギター)
東京都 1962年2月20日生まれ B型

※画像はハイロウズ時代のもの

ブルーハーツのギタリストで通称『マーシー』。二つ離れた兄がいる。
マーシーは『少年ナイフ』の大ファンらしい。愛用のレスポールには『少年ナイフ』のステッカーが無造作に貼られている。
好きなものは、野球・ビール・餅・ビーフカレーなど。
小学校の頃に万引きをして捕まったりなど少しワルだった。そのせいで野球だかサッカーだかのチームを辞めさせられてしまったという話もある。
小学6年の時にビートルズを友達から教わり聴いた事をきっかけに音楽にのめり込む。(後にその友達とブレイカーズ結成)
中学2年の4月13日(矢沢永吉率いるキャロルの解散ライヴの日)に父親を連れて秋葉原でエレキギター(グレコ EG480 レスポールモデル)を購入する。後にバンドを組み、明くる年の2月池袋西武アマチュアバンド・コンテストに出場するが無賞に終わる。
高校は久留米西校出身で部活は帰宅部。高1の夏、芝刈りのバイトで得た金でレコード屋へ行き偶然流れていたセックスピストルズに衝撃を受ける。三者面談で「卒業後はバイトしながら音楽やります」と言い放つ。
本格的なバンド活動は高校卒業後に結成した『ブレイカーズ』から。しかし、84年にレコードデビュー目前にブレイカーズ解散。(この時期にヒロトに出会う)85年にヒロトとブルーハーツを結成、87年にメジャーデビュー。89年にソロデビューしてソロアルバムなどもリリースしている。
被り物が好きらしく、いつも頭にバンダナなどを巻いている。ハスキーなガラガラ声がかっこいい。
ブルハ解散後は↑ハイロウズ↓のギターを担当する。

河口純之助(ベース)
東京都 1961年4月21日生まれ A型

初期メンバーであるマサミが抜けた後にブルハに入ったベーシスト。
中学の時から日本のロックを聴いていた。矢沢永吉の大ファン。中学3年でバンドを組む。
上京時に、原宿のホコ天で河ちゃんを含めヒロト・マーシーの3人でセッションしたこともあったらしい。
ブルハの中ではオチャメ?でムードメーカー的な存在である。
ライヴではベースに対して膝蹴りや頭突きをしたり、真上に放り投げたりする。たまにミスって落とす時などもある。あのベース投げは公園で練習したという説がある。
ベースを抱えたままでの両足ジャンプはかっこいいの一言。本当に音楽が大好きで全力で楽しもうとしているのが伝わる。
俺はよく知らないが宗教がどぉのこぉのって。河ちゃんがブルハとしての音楽で俺らに夢を与えてくれたのには変わりはないし過ぎたことだ。今更いろいろ言っても仕方がないべ。と俺は思う。
ブルハ解散後はホームヘルパーだとか、どっかのバンドのプロデューサーだとか色々聞くけど実際は分からない。元気でいることを願いたい。

梶原徹也(ドラム)
福岡県 1963年9月26日生まれ A型

初期メンバーであるリュウスケが抜けた後にブルハに入ったドラマー。
とても優しい声を持っている。おどけた表情のニッコリ笑顔が素敵だ。実家がお寺。
実は卓球好きとゆうカワイイ一面も・・・。(笑)
ブルハのライヴのカセットを聴いて衝撃を受け毎晩ヒロトに根気強く「入れてください!」の電話を掛け、ドラムの地位を手に入れることが出来たという気迫の持ち主。
中学の時にザ・ビートルズに目覚め、最初からドラムに興味があった。座布団で練習していたという話もある。高校でバンドを組む。
大学のサークル時代に何でだか知らないけどいきなりモヒカンにしたくなり、デヴュー当時からモヒカンを貫き通した。
ライヴで気持ち良さそうにドラムを叩く梶くんは本当に楽しそうだ。ドラミングが頂点に達するとスティックを上に投げたりもする。
ブルハ解散後は『ドラマーズ』『ミミクルズ』『THE 3PEACE』『サルサガムテープ』などで活躍し、現在は『大塚愛』のバックドラムを担当したり、元ハイロウズのキーボード・白井幹夫と『THE BIG HIP』を結成するなど積極的に音楽活動を展開する。


THE BLUE HEARTS結成秘話

1984年の12月、当時メジャーデビュー目前と囁かれていた『ブレイカーズ』が解散。解散後、マーシーは福生の米軍ハウスにこもり何もせず日々を過ごしていたところ、怪しいパーティでヒロトの所属する『コーツ』のライヴテープ『人にやさしく』を聴き衝撃を受ける。早速ヒロトに「今度遊ぼうよ」と電話をかける。その頃、ヒロトの所属する『コーツ』も『ブレイカーズ』とほぼ同時期に解散した。
やがて二人は、ヒロトが住んでいた笹塚の空き工場で怪しいパーティを開く。パーティー後、マーシーはヒロトへ「一緒にバンドやらないかい?」と持ちかける。ヒロトは「もう2・3年ブラブラしてあちこちのセッションでハーモニカ吹いたりしようかなと思っていたんだけど、マーシーが言うならやろうかな」と言ったそうだ。『THE BLUE HEARTS』誕生の瞬間である。
結成当時、ヒロトの住んでいた所の部屋が空いていたのでマーシーが仲間を連れてやって来る。共同生活をしながらバンド活動を開始した。
結成してからヒロトはTVアニメばかり見て曲を作ろうとしなかった。それを見たマーシーがブチ切れて、TVを投げそうになったとゆう話は有名である。ヒロトが焦って慌てて作曲したのがあの名曲『リンダリンダ』だ。

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