日本のパンクの発端は70年代前半の日本のロックの先駆者たちが道を開拓した。
代表的なバンドは、ローリングストーンズの影響を感じさせる『村八分』・ハードロックを叩き付けた『外道』・政治的な意味合いを持ってメッセージを投げかけていた『頭脳警察』など。彼らは音楽的にパンクではなかったが、当時は異彩を放っていた。
本格的に日本にパンクバンドが現われ始めたのは77年頃だ。当時ニューヨークやロンドンでは、『SEX PISTOLS』『THE CLASH』『THE DAMNED』『RAMONES』などによるロックシーンを変えた一大パンクムーブメントが起きていた。
その勢いは日本にも飛び火したのは言うまでもない。まず東京では、『フリクション』『リザード』『ミスター・カイト』『ミラーズ』『S−KEN』などが一斉に登場し、『東京ロッカーズ』という名前で一緒に活動することが多かった。
一方関西地方でも、町田町蔵氏(現在 町田康)率いる『INU』や映画にもなった『ザ・ロッカーズ』(現在俳優の陣内孝則がヴォーカル担当)『アーント・サリー』『SS』『ザ・モッズ』『ザ・ルースターズ』などパンクの気質を持ったバンドが登場した。
しかし、バンド数も少なくあえなく解散するバンドも相次だため大きなムーブメントには至らなかった。日本にパンクが根付き定着するのは80年代以降からだ。
そんな中でも、いきなりメジャー契約したうえ和製セックスピストルズの異名を持った『アナーキー』というバンドが登場した。言いたいことをシンプルに歌うヴォーカルが若者に衝撃を与えた。また、イギリスのパンクバンドのカヴァーも日本語でやったりなど興味深い活動をしている。
そして、忘れてはいけない80年代前半のシーンをかき回したもう一つのパンクバンド、遠藤ミチロウ氏率いる『ザ・スターリン』だ。全国的にライブハウスを巡り、初期は観客に動物の臓器を投げつけたり、局部露出やマスターベーションなどの過激なパフォーマンスでスキャンダルなイメージが強かった。
82年頃になるとアンダーグラウンドでは、より過激なパフォーマンスのパンクバンドがライブハウスで暴れ回ることとなる。『奇形児』『MASTURBATION』『G.I.S.M.』『ガーゼ』などが代表的なバンドで挙げられるが、客のノリも暴力的となって一触即発の緊張感がライブハウスに充満したのは言うまでもない。
しかし、同時期にはパンク本来の激しさをキープしつつポップなメロディーで歌うバンドが現われ始めた。その中でも、『ラフィン・ノーズ』『ウィラード』『コブラ』などは、様々な戦略でファンを確実に増やし、インディーズ・ブームをリードした後にメジャー・デビューへと移った。
さらに『ケンヂ』『ニューロティカ』『ザ・ピーズ』といったバンドが親しみやすくも力強いパンクロックを確立させていった。俺もリスペクトして止まない『ブルーハーツ』もその流れを汲んでいるとも言える。
87年にいきなりメジャーからアルバムデビューした『ザ・ブルーハーツ』は、日本のロックシーンを大きく揺り動かした。適度な速さのシンプルなパンクロック、荒削りだが伝統的なロックの不良性が優しく強い日本詞を歌うヴォーカルにより、ブルーハーツの支持層はパンク以外の音楽ファンまで一気に広がった。
今でこそブルーハーツは”青春メッセージ”的なイメージが強いが、当初は世の中に対する不満を投げつけるパンクの本質を確実に持っていたと自信を持って言える。
『ブルーハーツ』初期はパンク色を放っていたがアルバムを出すごとに、もともとのルーツの70年代の日本のフォークロックのテイストも強まっていく。一口にパンクバンドとは言い切れない『ブルーハーツ』の良さがある。
『ブルーハーツ』の影響は凄まじく、空前絶後のバンドブームを呼び起こし、その勢いは90年代まで及んだほどだった。
90年代になると、ある意味で現在のパンクにも通じる日本のパンクシーンに地殻変動が起こった。その鍵を握ったのが横山健氏率いる『Hi-STANDARD』だ。
『Hi-STANDARD』はメロディックパンクと言われ日本のパンクロックに新風を巻き起こし、ハードコアパンクの速さとハードロックの力強さを内包していた。また、全曲英語詞でありながらこれだけのヒットを打ち立てたのも日本初だろう。パンクだからと言って露悪をせず偽悪者ぶらず親しみやすさが莫大なファンの支持を得た。
現在は日本詞でありながら速いパンクサウンドが多くみられるようになったと思う。いわば、ブルーハーツとハイスタンダードの美味しいとこ取り。しかし、『ゴーイング・ステディ』などは、外国のサウンドの影響を受けつつ日本のパンクの先輩方の影響も確実に受けている。『モンゴル800』などは出身地の沖縄のサウンドも織り交ぜた独自のサウンドも展開している。現在のバンドは『ブルーハーツチルドレン』などと言われることもある。
このように日本のパンクロックも外国の影響も受けながらも独自の進化を遂げてきたと言える。これらが日本のパンクの行き着いた結果の一つだと言えるし、これからもさらなる進化をとげることだろう。